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2021年4月19日月曜日

行間を深読みせよ。

少年Youtuber・ゆたぼんが、自身の動画の中で「中学校に行かない」と宣言したことについて、夜回り先生こと水谷修さんが「エールを送った」との記事を見かけました。




この記事をさっと一読すると、水谷さんはゆたぼんくんに対して「ありがとう」と言い、誹謗中傷などもってのほかと述べているので、彼に対して応援の気持ちが強いのかなと感じられます。でも、最後まで読んでみて「ん?」となるわけです。
ゆたぼん君を批判している人たちにお願いです。止めましょう。こんな小さな子どもが、自分で必死で決めたことです。そっと何も語らず、彼のユーチューブも見ず、そっとしておいてあげましょう。そこから、きっと彼は、また次の人生を自分で考えて生きていきます。

記事はこのように締めくくられています。 ここだけ読むと、ゆたぼんくんのYouTubeは見ないようにしましょう、と呼びかけています。中盤まで続く「エール」とは少し違う印象を受けますね。そのことを念頭に置いてもう一度記事を最初から読み直してみると、水谷さんの伝えたいことってもっと別のところにあるのではないのかと思えてきたわけです。

以下、僕なりにこの記事を推察してみたいともいます。

エールの影に

そもそもYoutuberゆたぼんを応援するのであれば、もっともっと動画を見てあげましょう!となるでしょうが、水谷さんは見ずにそっとしておきましょうと仰っています。つまり、水谷さんはゆたぼんくんの現状についてはどちらかというと否定的なのではないかと推察します。

ゆたぼんくんが自分の言葉で「行かない」という発信・行動をしたことは認めつつ、それでYoutuber活動をしていることについては好ましく感じていないとすれば、理由はどこにあるのでしょうか。水谷さんは記事の中で「義務教育を受けさせないことは犯罪」ということと「(ゆたぼんくんの言葉は)自分の言葉ではあるけれど、親の影響もある」ということについて言及しておられます。僕はこの部分に、何か怒りのようなものを感じてしまうのですが、どうでしょうか。

水谷さんは明言しておられませんが、これは親に対する怒りが込められているのではないか、と考えました。あくまでゆたぼんくんが自分の言葉で語っているという前提に立ちつつ、とはいえ親は何やってんだ、と。それが子どもを矢面に立たせることに対してなのか、何なのかまでは考え付きませんが。

その後、水谷さんはゆたぼんくんが学校に「行かない」という視点で、新たな不登校の姿を明示してくれたことに対する感謝を述べておられます。これによって記事はなんとなくポジティブな印象を受ける内容に仕上がっています。しかし、分解して考えてみると、そうでもないように思えませんか?

個人の見解です

まぁあくまで僕が勝手にこのように感じただけであって、真意については知るはずもありません。まったく的外れなことを書いてしまっていたら申し訳ありません。あくまで「個人の見解です」ということで、ご勘弁ください。

2021年4月14日水曜日

記憶に残ったか、どうか。

今回は短いです。

ずばり、芸人さんのネタとPRの融合について、です。

先日ネットニュースで、M-1グランプリ2020チャンピオンのマヂカルラブリーさんが、脱毛サロン「キレイモ」の入社式に登場し、キレイモのブランド名を織り交ぜた漫才を披露されました。以前からあったネタのオチにキレイモを入れ込んだ形の漫才になっていたのですが、思えばこういったPR融合型の漫才っていつからあったんだろうと考えてみました。

結果、いつからあったかは答えが出なかったのですが、明らかにこういったものが流行りだしたのは2020年からだと思います。少なくとも、一般人目線で肌で感じるのは去年からです。理由はシンプル、M-1グランプリ2019のチャンピオンがミルクボーイのお二人だからです。

皆さんご存知の通り、ミルクボーイさんがM-1で披露した「コーンフレーク」「もなか」などのネタは、中核となるワードを変えることで様々な応用が利きます。2020年の1年間でミルクボーイのお二人がワードを指定されて作った漫才はかなりの数になっているのではないかなと思います。

ミルクボーイさんのネタ構成は素晴らしい発明だと思います。なので、ミルクボーイさんのネタだからこそ対応しやすいことを「じゃあマヂカルラブリーさんも…」となったらあまりに安直すぎない?と思ってしまいます。

最近YouTubeを見ていると、ミルクボーイのお二人が関西ペイント社の「接触感染対策テープ」のPRとして披露している漫才が良く流れてきます。このネタの中では同商品の名前が連呼されるので、ぼんやり見ていても商品名はある程度記憶に残りました。PR動画の冒頭で内海さんが「ほな関西ペイントやないか!」と言っていたので、社名まで覚えてしまったぐらいです。

対してキレイモの方は、まぁ入社式用なのでPR重視ではなかったと思いますが、ブランド名は記憶に残っていませんでした。この投稿を作成するにあたり、Yahoo!ニュースを遡って調べたぐらいです。

断っておきますが、僕はマヂカルラブリーさんのネタ大好きです。マヂカルラブリーさん自体好きになって、オールナイトニッポン0の放送が始まってからは毎週聞いています。めっちゃ面白いです。リスナーもなかなかの狂った人ぞろいで、投稿メールまで面白いこと…。だからこそ、今後マヂカルラブリーさんのお仕事が増えていく中で「無理のあるPR」が増えなきゃいいな、とは思ってます。マヂカルラブリーさんのネタはやっぱり世界観ありきだと思うので。

吉本興業さん、仕事はちゃんと選んであげてくださいね。余計なお世話でしょうけど。

2021年4月10日土曜日

これがお国柄だったら本当に終わってる。

まー毎日毎日とんでもねぇなってニュースが目に入ってくるもんで。今回のはなかなかにセンシティブな内容かと思いますが、あえて書きたいと思います。


あまりにもな内容なので苦手な方はニュース記事を開かないことをお勧めしますし、この記事についても読むのはここでおしまいにしていただいて構わないと思います。

人が人でない価値観


当たり前ですが、女性は人間です。モノではない。「人間であること」において男女の差はありません。人間である以上、親からしたら男であろうが女であろうが「我が子」であるはずです。その「我が子」である娘がレイプをされたと被害を訴えたら「家族に恥をかかせた」という思考に至るとは、これはもはや全く理解のできない価値観の相違です。というより、このような思考を「価値観」というくくりで考えたくありません。なんでこんなことになっているんだ?

恐ろしいのは家族が被害者少女を「家族の恥」と切って捨てるだけでなく、その辱めを見て嘲笑し、暴力を振るい、それに賛同する大衆が存在するという事実です。少人数の異常行動に対して恐怖を感じて遠巻きに見るしかない大衆なら存在してしまうかもしれません。これも結局助けないという意味では同罪に近いですが、僕だってそんな大衆の一部になる可能性を捨てきれないのも事実です。しかし、その様子を見て高揚し、愛国スローガンを叫ぶ者すらいるというのはどういうこと?

インドからは性暴力被害に遭った女性がさらにひどい暴力を受けるというニュースがたびたび流れてきます。これはこの国のすべてを映しているわけではないだろうし、一部だと信じたい気持ちはありますが、いずれにしても到底看過できない風潮があるのは事実です。インドは非常に発展目覚ましい国だと聞きますが、経済や技術の進歩にかまけてこのような人権に関する認識の低さを放置することは、この国にとってデメリットしかないと思います。

一つの国の社会における倫理観や価値観というものはそうそう簡単に変わらないものだとは思いますが、このニュース記事によると同国の有名女優が非難の声をあげているということは光明かもしれません。少しずつでも前に進んで行ってくれることを願わずにはいられません。また、被害を受けた少女にはこの先の人生で必ずや幸せをつかみ取ってほしいと心から願います。

2021年4月8日木曜日

パワハラって二極化してない?

まーたろくでもないニュースを目にしてしまいました。



生徒を心理的に追い詰めるだけで指導をしない教師。これが10年前から常態化していたことが明るみに出たようですが、十分すぎるパワハラですね。この看護学校の体質が劣悪なものであることは議論の余地はないとして、僕は「パワハラ」というものについて考えたいと思います。

昔はパワハラなんて当たり前?

パワハラという言葉が普通に使われるようになって、それこそもう10年ぐらい経つんじゃないですか?知りませんけど。で、会社やスポーツ指導現場とかでのパワハラの話が出るたび、一定数「昔はこんなの当たり前だった」を語る層が出てくるんですよね。そして「時代は変わったんだ!」で話が終わる。ここまでテンプレのような気がします。

確かに、昔ながらの日本の組織ってパワハラ体質なところがかなりあったと思います。それに対して、昔の人たち(というのは失礼かもしれませんが)は歯を食いしばって頑張ってきたから今があるんだ、と。でもそれが仕事でいえば、昔は高度成長期にあったから耐えた分給料も上がったし耐えられたんだとか、いやいや今の若い人たちは精神的に弱すぎるとか、そういう話ばかり。はたして本質をついている話はどれぐらいあるのやら…。

パワハラの純度が上がっているのではないか


僕が本質を突けているかどうかはわかりませんが、僕の考えをお話します。

人って、誰かからしてもらった良いことは忘れがちですけど、嫌なことは結構覚えてたりしませんか?パワハラも受けた人たちは嫌な記憶として残りますよね。それに対して、その人たちが次世代に取る行動って2パターンに分かれると思うんですよ。

一つは、自分たちがされて嫌だったことは次世代にはしない、と自戒する人たち。
もう一つは、自分たちもそうやって育てられてきたんだから、次世代にも同じことをするべき、となる人たち。

前者はシンプルに優しくなるってことで良いんですが、僕が考えたいのは後者です。自分たちもパワハラを受けてきたから同じようにする!のは百歩譲って仕方ないのかなと思うにしても、この人たちが受けてきたのはパワハラだけなんですかね?もしかしたら、厳しいことも言われたけどその分フォローされて助けてもらったこともあるんじゃないでしょうか。でも上述したように人は嫌なことは良く覚えていても良くしてもらったことはけっこう忘れがちだと思うんですよ。

そうするとどうなるでしょうか。前世代の人たちが行ったパワハラとフォローの両面が、現世代のフィルターにかかってフォローだけ取り除かれてしまい、パワハラだけが残る。そしてそれは現世代から次世代のフィルターを通してさらに純度の高いパワハラへ…なんてサイクルを想像してしまうんですけど、どうでしょう。

指導として追い込むならフォローもセットで


この看護学校のニュースを見ていても、厳しいことを言うばかりでフォローが一切なかったということに一番問題を感じるんですよね。看護学生というのは、その後命を預かる看護師という仕事を目指す以上、一定の厳しさの中に身を置かなければいけないと思います。でも、そこはやはりこれから経験を積む前の学生、厳しいことを指導しながら、フォローしたり経験したことのフィードバックを行ったりして育てていかなければなりません。問題となっているパワハラ教師の行ってきたことは、圧力をかけるだけで看護学生を伸ばす努力を怠っているので指導とは到底呼べません。しかし、本来厳しさとセットになるべきフォローなどの部分が抜け落ちているのは、なんだかパワハラの純度が上がってきてしまっているサイクルがあるのではないかなぁと感じてしまいました。

2021年4月5日月曜日

自己防衛、必要だとは思うんだけれど。

昨日、YouTubeにて中川翔子さんのチャンネル新動画が公開されているのが、僕のホーム画面に表示されてきました。タイトルは「【朝倉海コラボ】逃げるは恥じゃないし役に立つ!最強の護身術を習って実践してみた!」格闘家・朝倉海さんとのコラボ動画で、すぐに使える護身術を習う、というものです。


見てみると、朝倉海さんの教えている動きって合気道の動きに近いのかなと思いました。体の筋肉の中で力の大きなものをうまく使って、腕やカバンを掴まれた時などにうまく振りほどく方法などをレクチャーされています。

ただ、そもそもどうして中川翔子さんが護身術なんでしょうね?

ずっと悩まされ続けてきたこと

その十分すぎる、おそらく理由となることは、先日別の動画の中で中川さんが語っておられます。



ネットニュースにもなっていたので、動画そのものを見てはいなくても中川さんがこれまでのストーカー被害について胸の内を語ったということを、知っていた方も多いのではないでしょうか。今回はこの一連の流れについて感じたことをまとめていきます。

ストーカーという存在


“ストーカー”という言葉について調べてみると、Wikipediaには以下のような記載がされていました。
ストーカー(英: stalker)とは、つきまといをする人のことを指している。

なるほど、シンプルに考えるとこうなりますね。ストーカーにもいろいろあるみたいなので、分類についてはWikipediaの「ストーカー」の項目を参照してください。僕も勉強になりました。

インターネットの発達した現代では、SNSアカウントを通じて付きまとい行為をする人もいて「ネットストーカー」なんて呼ばれたりもしますが、中川さんが動画の中でお話されているのはどちらかというと物理的・直接的な意味でのストーカーのようです。こういった被害は有名人の方は特に受けやすい傾向にあるでしょうが、そうでない一般社会で生活している人にも起こりうる話です。そういうことへの注意喚起や、現在の法や警察の対応できる範囲に対する警鐘という意味も込めて、中川さんは動画を公開されたようですね。中川さんも直接的に身の危険を感じるレベルのストーカー行為を受けたこともあって、護身術というお話につながったのかなと思います。ですが、それでもやっぱり中川翔子さんが護身術を学ばなければいけないことは腑に落ちません。

防衛する側が時間と労力を費やさなければならない現実

そもそも、中川翔子さんにストーカー行為をするような人がいなければ、彼女が身の危険を感じるようなことがなければ、引っ越しを繰り返す必要もないし護身術だって学ぶ必要はないと思います。断っておきますが、僕は中川翔子さんが護身術を学ぶことに反対しているのではありません。学びたいことは学べば良いし、その中で中川さん自身が「学んで良かった!」ということが得られれば問題ないわけです。今回はその流れの中で1年ぶりに朝倉海さんとの動画コラボが実現したとのことで、それはそれで良かったというか、ピンチをチャンスに変えていくというか、その強い姿勢は素晴らしいなと感じます。

そしてストーカーなどが社会問題化すればするほど、護身術というのはスクールビジネスとしても成立していくわけですよね。これも勘違いしないでいただきたいのですが、護身術をビジネス化することを否定したいのではありません。そこに需要がある以上、ビジネスとして成立してしかるべきです。ただ一つ気になるのは、護身術に対する需要は「必要性」なのか「欲求」なのかということです。

必要に迫られる需要=必要性需要もあれば、欲しくて求める需要=欲求性需要もありますよね。あ、そんな言葉があるかどうかは知りません、僕が勝手に名付けてます。護身術のようにサービスを提供するビジネスを例にとると、けがや病気などで必要に迫られて病院に行く人はいるでしょうが、病院に行くのが好きで好きでたまらなくて行く人はそんなにいないと思います。逆に、東京ディズニーランドが好きで好きでたまらなくて何度も遊びに行く人はいるでしょうが、東京ディズニーランドに遊びに行かないと生活が成り立たないから行くという人も、まぁほとんどいないと思います。なので、病院は必要性で東京ディズニーランドは欲求性です。そう考えたときに、護身術は欲求として求める人もいるとは思いますが、必要性を感じて学ぶ人の方が多いように思います。中川さんの場合は必要性需要から発生したものを上手にビジネス(自身のYouTube動画)に転換することができた、というところでしょうか。でもみんながみんなそうはならないですよね。

必要性に対応するビジネスが悪いわけではありません。ですが、個人が自身の抱える需要に対して費やせる資金が限られている以上、必要性需要に費やす費用が膨れ上がると当然欲求に対して費やすことのできる資金を圧迫します。つまり、必要に迫られてあれやこれやとお金を使うことになると、自分がしたいことができない、買いたいものが買えないなんてこともありうるわけです。これって、生活の豊かさを奪われてますよね。中川さんも動画の中で、ストーカーから逃れる為に費やしたお金、時間は取り戻せないし、そのことに悔しさを感じる旨のお話をされていました。ストーカー行為は心身の危険を感じさせるだけでなく、相手の生活の豊かさまで奪いかねないわけです。

ストーカー行為と脳の発達

では、ストーカー行為に走ってしまう人は、なぜそのようになってしまうのか。先に言っておきますが、僕は専門家ではないので詳しいことはわかりません。そこらへんを詳しく学びたい人は本を読むなりGoogle先生の力を最大限活用するなりしていただければと思います。

ストーカー行為を肯定するわけではない、ストーカーを行う人を擁護するつもりはない、という前提を述べた上で、ここから先を書きます。

ストーカー行為を行う人って、たぶん自分の行動が迷惑行為だという認識はないですよね。わかっていてもやめられない人もいるかもしれません。中には、表向きには「ストーカーってダメだよね」と言いながら当の本人がストーカーを行っているというケースもあるぐらいでしょう。いずれにしても、その行為が社会的に問題ある行為だという自己への認識が決定的に欠如していると思います。そして、自己の行為への正当化意識が強い。これは意識的にそうしているというより、意識の陰にある大きな無意識の中にあるのではないかと思います。

これまでの仕事の中で発達に偏りのある方(あえて「発達障害」とは書きたくないのですが)と関わることも多かったのですが、一つの傾向としてあるのが「自分がそれをされたら嫌なのに、同じことを他者にしても嫌がられるということがわからない」ことが多い、ということです。これは、ただ文字にするとえらくわがままな人の考えに見えますが、そもそも脳の発達の都合でその辺の想像を働かせる能力が極端に低い人が一定数いるということです。なので「それは迷惑行為だよ!」ということを想像できるようになることを期待すること自体、なかなか無理があるんですよ。もちろん、時間をかけて理解を促すことはできますが、なんでそんなこともわからないの?という前提で話すのはなかなかに酷です。

もう一つ断っておきますが、「発達障害の人=ストーカー」という話ではないです。ですが「ストーカー→発達に偏りがある可能性がある」は成立すると思っています。そもそも、世の中全ての人々、それぞれに何かしらの発達の偏りがあります。大なり小なり。それがある程度の基準を超えていると医師が判断した時に「発達障害」という障害名がつけられ、療育手帳が支給される。僕自身も、自分って偏ってるなと感じる部分があります。みんなそんなもんです。僕が「発達障害」という言葉をあまり使いたくない理由はここにあります。誰かが決めた線の向こう側にいる人は発達障害者で、そうじゃない人は健常者って。みんなそれぞれ偏ってますから。

自己防衛ばかりが求められる世の中はおかしい

とはいえ、やっちゃダメなことはやっちゃダメです。そこはシンプルだと思います。何かの犯罪に巻き込まれた人に対して「危機管理意識が足りない」とか「自己防衛の対策をもっと講じておくべき」など言う人もいますが、そうじゃないでしょう。誰かに危害を与える奴が悪いに決まってる。上に述べたように、自己防衛の必要性に迫られるばっかりに、その人の生活の豊かさが脅かされるのは間違っていると思います。では、どのようにしていけば良いのか。

僕なりの考えですが

  1. 教育を見直す
  2. 警察の介入できる範囲を見直す
  3. 有名人については護衛のシステムをもっと充実させる
ということを考えます。

教育については、幼少期からの道徳教育というのはまだまだ工夫をしていって良いのではないかなと思います。詳しいことは知りませんが、小学校でも道徳の授業はあると思うので、文部科学省からのある程度の方針は出ているにしても、現場での教育内容はその学校や担当する先生の力量に委ねられている部分が大きいのではないかと思います。その中で「こういうことはやっちゃダメ!」というような話はよくあると思うのですが、他者の痛みを想像する、自己の行為を客観視するための取り組みはもっと充実させていっても良いのではないかなーと思います。あ、実情を知らないのでイメージで話していますよ。

警察については、やはり「何かあってからでないと動けない」を改善するべきだと思います。「何かあった」というのがかすり傷程度ならまだしも、その時点で命にかかわってしまっていたら話になりませんし、命に別状はなくとも心に大きな傷を負ってしまうことだってあるわけです。線引きが難しいのはわかります。警察官は逮捕権という絶大な権力を持たされています。これは一歩間違えば罪のない一般市民の自由を奪いかねない力なので、行使できる範囲を慎重に検討していかなければいけません。そして、悲しいことに世の中では事件や事故がひっきりなしに起こっているので、まだ何も起こっていない段階の事象に警察官の人員を割ききれない事情もわかります。ですが、現状はやはり助けを求めている人を救うに足りていないと思いますので、見直しをしてしかるべきと考えます。

最後の有名人の護衛ですが、先に述べた通り護衛を雇えばその分費用もかかりますし僕の意見としては先と矛盾するようなところもあるのですが、やはり著名人を抱えるタレント事務所などは十分に対処すべきところではないのかなと思います。まぁ家の前に四六時中護衛が立っていたら「ここに有名人が住んでいますよー」と宣伝しているようなものなので、やり方は考えなければいけないと思いますが…。警備システムの充実している住居を提案するなどできると思いますし、事務所も所属タレントの安全を守るための費用をケチるようなことがあっては話にならないと思います。

とまぁこんな感じで好き勝手書いてまいりました。そもそもの発端は「しょこたん、ストーカーの件もあったから護身術学んでるの?事務所もっと守ってやれよ。ストーカーの取り締まりもっと考えろよ」と思ったことです。途中でも書いた通り、ストーカー行為の違法性や迷惑さ、そもそも自分の行為がストーカーかどうかということすら、認識できない人が一定数います。そんな人たちに「やめてください」を発信し続けてもおそらくムダです。これから先の社会を良くしていくために根っこから作り上げていくには、教育の見直しが必要だと思います。でももう大人になってしまっている人たちにはそんなもの間に合わないので、取り締まりの方法はもっと見直すべきだと思います。「認識できない、理解できない、だから仕方ない」ではなく、わかってようがわかってなかろうがストーカーなど迷惑行為については容赦なく取り締まる。それで良いと思います。

誰もが安心して暮らせる社会を目指して。それを夢物語として切って捨ててしまうと、絶対に実現しません。どれだけ遠い理想であっても、近づこうとする想いを皆が持てれば近づいていきます。僕も社会の一員としてできることをしていきたいと思う次第です。

2021年1月6日水曜日

滋賀県守山市 中古車販売会社での事故

 2021年初早々、地元で痛ましい出来事があった。中古車販売会社を経営する父親が自社の駐車場でフォークリフトを運転し、フォークの部分に娘2人を乗せて遊ばせていたところ娘が振り落とされてフォークリフトに引かれてしまい、姉が重傷を負い妹の方は亡くなったという。


言わずもがな、フォークリフトのフォーク部分に子どもを乗せて遊ぶのは安全意識の欠如である。子どもはその危険に気づけないかもしれないが、大人は気づくべきだっただろう。


運転していた父親も、事故には直接関与していない母親も、気持ちのやり場がないだろう。そこが一番気にかかるところである。道交法で取り締まれる案件でもない。身内が身内を不慮の事故で傷つけてしまったからこそ、やりようがない。


自分も子を持つ親として、超えるべきでない一線を考えていかなければならない。