2021年2月27日土曜日

全集中、焼き鳥の呼吸、なんちゃって。

無性に焼き鳥が食べたくなる時がある。割としょっちゅう。

僕の日常生活の動線にはいくつかの焼鳥屋がある。何度か行ったことのあるお店、実は昔から馴染みがあって店長とも顔見知りのお店、全国展開チェーンのお店。僕が焼き鳥を食べたくなったとき、この中のどれを選択すると思いますか?



答えは、3つ目の「全国展開チェーンのお店」なんです。ちなみに鳥貴族です。



なぜか。



「焼き鳥を食べたい」という欲求を満たすことに集中したいからです。

シンプルに、それだけに集中するには、日々の動線の中では鳥貴族が一番適していると判断しているからです。誰かと話しながらゆっくり飲みたいときは馴染みのあるお店に行くでしょう。ちょっと冒険心を満たしたいときは新しいお店の開拓に行くかもしれません。でも、時折やってくる「ただ、焼き鳥を食べたい」という欲求を満たすのに、時間とお金をオーバーに費やしたくない。だから、鳥貴族。

そんなわけで、今日も一人で行ってきて、ビール一杯といくつかの串、おつまみを注文し、小一時間も滞在しないうちに帰ってきて自宅での作業を再開させています。今日はちょっと頭が疲れている感じがするので、誰かとゆっくり話しながら飲みたい気分でもなかった。ちなみに昨日は、馴染みのお店に行って(焼鳥屋ではない)ゆっくり飲みながら、少し酔いも回って、常連さんとの会話に笑い、楽しく過ごしてきました。

さて、明日はどんなモードかな。


追記。

やっぱり頭は働いていないようで、この記事を書き始めたときに本当に書きたかったことをすっかり忘れていました。

飲食店に限らずサービス業というのは接客部分をアルバイトに頼るケースが非常に多く、今日行った鳥貴族もその例に漏れずだと思います。大雑把なイメージというかくくりとして、飲食店についてはやはり大規模なチェーン店よりもオーナーとの距離が近い個人経営店などの方が同じアルバイトでも接客レベルが高いことが多いんですよね。必ずしもそうではないですし、異論はあると思います。

ただ、僕の家の最寄りの鳥貴族についてはここ数ヶ月で接客レベルの向上を感じていて。でもオペレーションはほとんど変わっていないはずだし、何が変わったんだろうと考えてみたんです。

僕の感じたところでは「笑顔」と「声のトーン」でした。

メラビアンの法則というのがありますね。コミュニケーションにおいて相手に伝わるのは見た目の表情や仕草など視覚情報が55%、声の質や速さ、大きさ、口調など聴覚情報が38%、話の内容や言葉そのものの意味など言語情報は7%で、人は話しているときに話の内容何て7%しか受け取ってないって話です。ホンマかいな!って話ですが、今日のケースなんかまさにそうですよね。

注文した料理もすべて届いて、いくつか食べ終わったお皿をテーブルの脇に寄せていると店員さんがやってきて「こちらお下げいたしますね。少々お待ちください。」と笑顔で、明るい声で言われたんですけど、今考えたら何を待てば良いんだって話ですよね。若干心の中で突っ込みましたが、お客さんもそれなりに入ってましたし、忙しくて余裕がないんだなぁと受け止めることができました。これが不愛想な表情と声で言われていたら、何も考えんといいかげんなこと言ってるなぁと感じたかもしれません。要はその店員さんに好印象を持っているかどうか、だけなんですね。

鳥貴族は全品298円というリーズナブルさがウリです。ですが、リーズナブルなだけでなく気分よく食事をできる時間を提供してくれるなら、付加価値としては十分ではないでしょうか。

今後も、ただ焼き鳥が食べたいだけの時は行くことになるでしょう。

2021年2月25日木曜日

ソフトテニスのプロとして生きる人。

 ルーセントテニスクラブ主催、プロソフトテニスプレーヤ―の芳村玲さん講習会に行ってきました!

芳村玲さん

2020年夏、日本で3人目のプロソフトテニスプレーヤーを宣言されました。船水颯人さん、船水雄太さんがいずれも後衛であるのに対し、芳村プロは前衛です。前衛としてのプロは初、ということですね。詳しいプロフィール等については芳村玲さんの公式ウェブサイトをご覧ください。

ルーセントテニスクラブ豊中へ


今回は大阪へ来られるとのことで、午前中は豊中、夜は枚方のルーセントテニスクラブさんで講習会が行われました。僕は2歳の子どもを連れてなので午前中、見学だけということでお邪魔させていただきました(見学だけでもOKか事前にルーセントテニスクラブさんに問い合わせたところ、快く承諾いただきました。ありがとうございます!)

ちなみに、豊中のルーセントクラブさんはハードコートが横並び4面で設置されています。今回は観覧エリアから手前2面が講習会、吊り下げネットで仕切られた奥2面は硬式テニスの利用者さんがおられました。ルーセントさんのウェブサイトをご覧いただければわかると思いますが、もともとあったテニススクール(クラブ)の再生事業として行われているようです。

芳村玲プロの指導


さて、ここからは僕も一人の指導者として子どもたちに関わっている手前、少し偉そうな書き方になるかもしれませんがご容赦ください。

今回の参加対象者は小中学生とのことで、僕の見学した講習会も小学生の女の子と中学生の男子、女子が参加していました。彼らのソフトテニス歴はどれほどかはわかりませんが、こうしてプロの指導と触れる機会を得るために来ることがすばらしいですね。

芳村玲プロの指導を見ていて感じたのは、課題を発見する力があることとそれを改善するためのプロセスの考え方がわかりやすくて良いな、ということです。これはトップレベルの人であってもそうでなくてもありがちなことなのですが、人にソフトテニスを教える時に「こうやってみて、ああやってみて」という本人の意識に頼った指導をよく見かけます。ですが、本人たちは「こうやる、ああやる」の方法がわからず課題となっているわけです。

例えば今回の講習会のワンシーンで言えば、中学生の男の子がクロスから飛んできたボールをストレートにコース変更できない。ならばどうするか。芳村プロはまず極端に右に打たせました。コートの外のあさっての方向に打たせ、最終的には真横でスマホを構えてるコーチの方の方に飛ばしてみよう、という具合に。スイングの構えを変えずにそれを行うことで、本人には打点を遅らせることで打球の飛んでいく方向をコントロールする感覚がわかってきます。そこからまた少しずつコート内に戻していくことで、打球がストレートのアレーゾーン内に収まるようになってきました。

指導をする上で狙ったところに打たせたい場合、最初から狙える人もいれば狙う感覚が良くわからない人もいます。その時に、ただ闇雲にそのポイントを狙わせるのではなく、あえて極端なことをする。こういうプロセスは僕も大好きです。

プレーヤーとしても、指導者としても


芳村プロは昨年夏にプロ宣言されたばかりです。今後も小学生や中学生など未来のあるソフトテニスプレーヤーに技術だけでなく楽しさを伝えていきたいと仰っていました。2020年はコロナ禍で大会がほとんどありませんでした。2021年は大会での活躍も期待したいです。

それと並行して、今回のように全国各地で講習会も開いていくとのこと。先にも述べたように、芳村プロは課題を発見する力と改善プロセスの考え方が現時点でも備わっておられると感じました。これからどんどんブラッシュアップされていくことで、指導者としても素晴らしいプロになれるのではないでしょうか。

あと、芳村プロのSNSをご覧いただければわかりますが、キャラクターも素晴らしいです(笑)寒い冬の海に移動素振りで入水していく動画は笑わせてもらいました。愛される、応援されるプロであってほしいですね。

写真


 

 


画像提供:芳村玲プロ

画像提供:芳村玲プロ



動画を含むデータ一覧は以下のアルバムにアップロードしております!


芳村プロ、これからも応援しております!

2021年2月23日火曜日

あの人の代わりはいない!ことがすでに大ピンチ。

 まずはこちらのtweetをご覧ください。

漫画家・一智和智さんがTwitterで掲載されている「便利屋斎藤さん、異世界へ行く」の一幕です。斎藤さんが風邪をひいてしまいパーティから離脱している間、他のメンバーが魔物退治中心に活動していたところ、パーティの潤滑油となっていた斎藤さんがいないことで困った、という話。

斎藤さんは転生して後からパーティに加わったメンバーです。それまではラエルザ、モーロック、ラファンパンの3名のパーティで成立していました。悪い言い方をすれば、もともと斎藤さんは「このパーティにとって特に必要とされていない人」でした。

一方で、転生する前便利屋の従業員として働いていた斎藤さんは、代わりはいくらでもいると言われながら仕事をしていました。つまり、元居た世界でも特に必要とされている実感を得られていなかったわけです。

しかし、このパーティ、というよりこの世界では斎藤さんの代わりはいません。これは斎藤さんにとって自己の存在価値などを大きく見直すきっかけとなります。その辺は漫画本編の方で十分ご覧いただけるとして…。

ここで触れたいのは「「この人の代わりはいない」と言われる人のすばらしさと、その状況を作っている組織の脆さ、弱点」というお話です。

斎藤さんは、もともと持っていた便利屋としての能力をダンジョン探索で役立てることに加えて、前線に立つ戦士には敵に合わせた武器の供給をし、後衛の回復役の盾となり、呪文の詠唱の文言を忘れがちな魔法使いの補助を行うなど、自らの努力と工夫でパーティにおける立ち位置を確立させていきました。これは斎藤さんの努力の賜物であり、このお話の正の面の教訓だと思います。立場は何もせず待っていれば与えられるものではなく、自らの努力と工夫で作り出すことができる。なんだかコロナ禍の現状と少し似ていますね。

片や、パーティとしては斎藤さんというピースが欠けたとたんに機能しなくなりました。これは、組織において「あの人がいるから大丈夫」と思われていた人(思われていなくてもそういう存在になっていた人)が不測の事態でいなくなると、極端に言えば内部から崩壊してしまうという事態を招くことと重ねて見ることができるなと思いました。もちろん、漫画内のパーティはもともと少人数のユニットなので代役を臨時で補填することは難しいですが、現実でもそのような組織はおそらく山ほど存在します…。

ではどうするべきか?私見ですが、例えばこのパーティでは斎藤さんが担っていた役割を残った3人でうまく分担することが必要でしょう。そのためにはまず、斎藤さんが担っていた役割を可視化して各自が認識する必要があります。おそらくこのパーティはそれぞれが斎藤さんに助けられていることは自覚していても、それがパーティの他のメンバーにも及んでいてその相乗効果でパーティがうまくいっていることまではきちんと認識してないのではないかと思います。現実の組織でもそうです。組織の要となっている「あの人」が担っている役割を正しく認識する必要があります。そのために、その人が行っていることを可視化・言語化・手順化する必要があります。こうすることで、非常事態が起こって欠けた人の穴を埋める必要が生じたとき、組織が機能しなくなることを少しでも防げるのではないかと思います。

少し読み方を変えると、正負の両面を表した教訓だなぁと感じたお話でした。

(余談ですが、組織の要の人の役割を可視化・言語化・手順化する作業って、往々にしてその要の人本人に押し付けられがちですよね…笑)

2021年2月22日月曜日

重箱の隅の衣をつつく。

 とんかつの衣はサクサクであってほしい。


これに尽きます。今日伝えたいことはこれだけです。

昨日、家族で少し出かけた先でとんかつ屋さんに入り昼食をいただきました。どうせなら良いものを食べようと思い、ブランド豚のロースカツを頼んだんですよ。これ自体はすごく美味しかったんです。でもね…


衣の下側が湿気ってふにゃふにゃだったんですよ。


味に影響はないんです。食感だけの問題なんですよ。でも、気になるんですよ。

そのとんかつは皿に直接触れないように金網みたいなやつに乗せてあったんですよ。

こういうやつ↓


だから、添えられているキャベツやそこから漏れだしてくるであろう水分とは直接触れていないはずなんです。

な の に !

ふにゃふにゃだったんですよ。




解せない。




これで2,400円(税別)取られたことが解せない。




細かい話かもしれないけど、どうしても気になってしまった話。

ちなみに、本当に自分好みのとんかつが食べたくなったときは隣の市にある某定食屋さんに行きます。そこは1,000円ぐらいの定食でかなり分厚いロースとんかつの定食を食べられます。衣はサクサクです。こちらについては同じ記事内で書くと僕が愚痴っているのがその店のことだと誤解を生んではいけないので、機会があれば別のときに。

2021年2月20日土曜日

スルースキル。

 「自分にとってプラスになる言葉にだけ耳を傾けなさい」文言は違えど、このようなニュアンスの言葉は世にあふれていますよね。スルースキル、大事。これは間違いない。ただ、この言葉自体を都合よく解釈しちゃってないか、というお話。

そもそもなんでこんなことを思ったかというと、昨日Twitterを見ていて久しぶりにこの人のtweetが流れてきて、それに対するリプライを辿っていたから。


ゆきぽよこと木村有希さん。

少し前に知人男性をめぐる騒動がありましたが、そちらはここで深掘りしていく話ではないので知りたい人は各自で検索を。

で。騒動もあってゆきぽよさんはSNSでの発言もしばらく控えていましたが、昨日約1か月ぶりにTwitterへの投稿がありました。こういう時のリプライ欄って、励ましの声やなおも批判する声などが入り混じってカオスになりがちですが、今回の場合はどうだろうと思い覗いてみると一つ気になったリプライがありました。

「みんながみんな好意的ではないのが世の中。好意的な人の言葉だけを聞きましょう」

心を健康に保つうえで、悪意を持って言葉を投げかけてくる人の言うことをスルーしていくのは大事です。一般の人でもそうですが、著名人で人の前に立つ人ならなおさら。僕も普段から心がけています。

ここで気になったのが拡大解釈です。悪意ある人が悪意ある言葉を投げてくるのは当然。これはスルーしましょう。ですが、自分に好意的に接してくれる人の言葉が批判的だったら?すべて受け入れますか?

これは難しいなぁと感じる部分で、好意的に接してくれる人の言葉でも何も考えずにすべて受け入れるのは違うし、かといってそんな人の言葉さえ届かなくなったらもし道を誤っていたとしても気づけないし。だから取捨選択をしなければいけないと思うんですね。良かれと思って言ってくれていることでも、お節介なこともあれば金言であることもある。

拡大解釈して「自分の意に反することを言われても全部スルーすれば良いんだ!」となったら、それはそれでいかがなもんかな、というところに思い至った、というお話でした。

(あと、ゆきぽよさんは彼女なりに大切に思ってくれている人たちの言葉に耳を傾けていることと信じます)

2021年2月19日金曜日

遊びの天才。

 昨夜、息子(2歳半)がお風呂の壁に濡らしたタオルを貼り付けて遊んでいた。



すごく当たり前のことなんだけど、水を吸ったタオルはその水の表面張力で壁に貼り付いている。大人なら理屈がわかる人が大半だし、そうでなくても「濡れたタオルは貼り付く」というのは経験から理解している。ちなみに我が家のお風呂では息子の為に壁に貼り付けるタイプのお風呂用お絵描きシートを使用していて



こんな感じ。これにお風呂用のクレヨンでお絵描きをして、息子はお風呂時間を楽しんでいる。
(このシートは妻がどこかしらで買ってきた)

どうということのない日常のワンシーンなのだが、僕はこの様子を見たときに「こいつすごい発見をしよった!」と思い、思わず風呂場から妻に呼びかけスマホを持ってきてもらい写真を撮って「よしくん(息子)がすごい発見をしたよ!」と自分の手柄のように報告した。

子どもは表面張力なんて言葉も原理も知らない。が、「タオルもシートと同じように濡らせば貼り付くのではないか」という発想を得たことに驚いた。いや、これが「壁に貼り付いているシート」から着想を得たのか「濡れたタオルが何かに貼り付いている様子を他のところで見た」からなのかはわからないし、残念ながらご本人にそこの確認を取ろうにも説明はしてくれない。

これは発明だと思う。

人は成長するとともに経験を積み、その経験から様々なことを推測することができるようになる。だがそのほとんどは、危険を回避するための防衛的役割に割り振られているように感じる。

片や、経験の少ない子どもはどうか。「こうしてみたらどうなるだろう」「こっちに行ってみたら何があるかな」経験がないからこその冒険心・探求心で、危なっかしいことこの上ないが、ときに思いがけない発見をする。

大人は「経験則」を取っ払って考えることを怖がる。不思議なことではなく、そもそも脳とは「いつも通り」以外のことを避けたがるようにできているらしい。しかし、ときにこの経験則を取っ払って物事を見てみると、素晴らしい世界が見えてくるかもしれない。地獄を見るかもしれない…笑 ただ、間違いないのは、停滞しないということ。

今、停滞している場合ですか?そうじゃないのは、そんな時代じゃないのは誰もがわかっていることだろう。時には「遊びの天才」に倣って、経験の外にあることに飛び込んでみると良いかもしれない。

素晴らしいお手本は、すぐそばにいた。