2021年4月19日月曜日

行間を深読みせよ。

少年Youtuber・ゆたぼんが、自身の動画の中で「中学校に行かない」と宣言したことについて、夜回り先生こと水谷修さんが「エールを送った」との記事を見かけました。




この記事をさっと一読すると、水谷さんはゆたぼんくんに対して「ありがとう」と言い、誹謗中傷などもってのほかと述べているので、彼に対して応援の気持ちが強いのかなと感じられます。でも、最後まで読んでみて「ん?」となるわけです。
ゆたぼん君を批判している人たちにお願いです。止めましょう。こんな小さな子どもが、自分で必死で決めたことです。そっと何も語らず、彼のユーチューブも見ず、そっとしておいてあげましょう。そこから、きっと彼は、また次の人生を自分で考えて生きていきます。

記事はこのように締めくくられています。 ここだけ読むと、ゆたぼんくんのYouTubeは見ないようにしましょう、と呼びかけています。中盤まで続く「エール」とは少し違う印象を受けますね。そのことを念頭に置いてもう一度記事を最初から読み直してみると、水谷さんの伝えたいことってもっと別のところにあるのではないのかと思えてきたわけです。

以下、僕なりにこの記事を推察してみたいともいます。

エールの影に

そもそもYoutuberゆたぼんを応援するのであれば、もっともっと動画を見てあげましょう!となるでしょうが、水谷さんは見ずにそっとしておきましょうと仰っています。つまり、水谷さんはゆたぼんくんの現状についてはどちらかというと否定的なのではないかと推察します。

ゆたぼんくんが自分の言葉で「行かない」という発信・行動をしたことは認めつつ、それでYoutuber活動をしていることについては好ましく感じていないとすれば、理由はどこにあるのでしょうか。水谷さんは記事の中で「義務教育を受けさせないことは犯罪」ということと「(ゆたぼんくんの言葉は)自分の言葉ではあるけれど、親の影響もある」ということについて言及しておられます。僕はこの部分に、何か怒りのようなものを感じてしまうのですが、どうでしょうか。

水谷さんは明言しておられませんが、これは親に対する怒りが込められているのではないか、と考えました。あくまでゆたぼんくんが自分の言葉で語っているという前提に立ちつつ、とはいえ親は何やってんだ、と。それが子どもを矢面に立たせることに対してなのか、何なのかまでは考え付きませんが。

その後、水谷さんはゆたぼんくんが学校に「行かない」という視点で、新たな不登校の姿を明示してくれたことに対する感謝を述べておられます。これによって記事はなんとなくポジティブな印象を受ける内容に仕上がっています。しかし、分解して考えてみると、そうでもないように思えませんか?

個人の見解です

まぁあくまで僕が勝手にこのように感じただけであって、真意については知るはずもありません。まったく的外れなことを書いてしまっていたら申し訳ありません。あくまで「個人の見解です」ということで、ご勘弁ください。

2021年4月16日金曜日

まなふぃーばー第2波、本当にありがとうございます。

2021年2回目のまなふぃーばーが来ています。

(※注)まなふぃーばーとは

アイドルグループ日向坂46の一期生メンバーである高瀬愛奈さん。これまでなかなかスポットライトの当たらなかった彼女が、冠番組などグループ全体の活動にとどまらず、個人としての仕事(通称「外仕事」)が続き活躍している様を指す。と僕は勝手に思っている。

というわけで、ここ最近起こっているまなふぃーばーについて、僕の把握している範囲でまとめてみました。

冠番組「日向坂で会いましょう」において

まず、「メンバーの素顔をもっと知りたい!これが私のマイルール」という企画において、高瀬さんが自身の荷物が多くてカバンがいつも閉まっていないと暴露されたときに突っ込んだ「それは盛ってるで!」が、後日そのまま企画タイトルになり、いい感じでフィーチャーされてます。

「それは盛ってるで!」企画の1回目は3月15日に放送されましたが、4月18日深夜の放送で第2回が行われるとのこと。これ、個人的にすごいなと思うのが、この放送からいよいよひかりTVなどで全国どこでも見ることができる見逃し配信が始まるんですよ。その一発目に高瀬さんの冠企画が来るって、なかなか良い扱いなんじゃないかなと思います。

レコメン!火曜日へのゲスト出演

4月20日深夜に文化放送のレコメン!へのゲスト出演が発表されました。火曜日のレコメン!は同じグループの加藤史帆さんがレギュラー出演しているのですが、加藤さんはいつも「まなふぃとは2人でのラジオ共演NG」とか言ってて、ネタとしてちょくちょく名前が出ていたのがついにゲスト出演です。

本人も出たいと仰っていたので嬉しいことなのですが、この日のレコメン!では日向坂46の5thシングル「君しか勝たん」の音源解禁もあるとのことです。この大事なタイミングでキャスティングされるってなかなかじゃないでしょうか。

そもそも加藤さんは、1月に発売された日向坂46新聞2021年冬号で「まなふぃをもっと目立たせたい」と仰っており、冠番組では高瀬さんをいじりにかかり、レギュラーラジオではたびたび名前を出すなど有言実行のサポートをされています。いじりながら高瀬さんの個性的なところを発信しておられ、メンバーの絆を感じずにはいられませんね。

ざっと書き出したらこのような感じですが、なんだかもっといろいろ続いてくれるのではないかと期待してしまいます。嬉しいお知らせ、これからも楽しみにしております。


まなふぃーばー!

2021年4月15日木曜日

歩行者の善意が独り歩きしている、歩行者だけに。

交差点、歩行者信号は青、横断歩道を渡っていると、左折してきた車がこちらの横断を待ってくれている。こんなとき、あなたならどんな風に振る舞いますか?


これに対して、ほとんどの方が「待ってくれているので、駆け足で横断歩道を渡りきる」と答えるのではないかと思います。自動車を運転している人の気づかいに対し、歩行者の側も気づかいで返す。うん、すばらしい心のやり取り。

で す が 。

僕も運転する側であるとき「もう走らなくていいからゆっくり渡って~」と声を大にして言いたくなるケースがよくあります。高齢者の方、重そうな荷物を抱えている方、小さな子どもの手を引いていたり抱っこ・おんぶをしている方、などなど。いやもうぜんぜん待つから!と思うのですが、善意で駆け足の横断をしてくれる方が世の中にはたくさんいます。

もうね、やめませんか。そもそも、横断歩道は歩行者が優先されるエリアなんですよ。なので、横断者がいる場合に自動車が待つのは義務なんですよ。これは道路交通法の第三十八条に定められています(条文についてはコチラをご参照ください)。上に一度「善意」なんて書きましたけど、善意でもなんでもなく義務なんです。もしかしてなんですけど、学校で交通ルールを学ぶ際などに急いで渡るように指導していたりしないですよね。だとしたら、教育のしかたから見直さなきゃならんと思いますよ。まぁ普通に駆け足で渡ることに問題がない人は、歩行者側の善意としてそのようにしても問題ないとは思いますが。

ちなみに、僕は歩行者の側に立ったときは自動車側の態度によって横断するスピードを変えています。自動車の方が明らかに一旦停止の義務を理解していて、余裕をもって待ってくれているときは善意として少し駆け足で渡ります。逆に、こっちが横断するのを急かすような態度で横断歩道に迫ってくる車に対しては、わざとらしく堂々と、ゆっくり横断します。急かしてんじゃねぇよバカヤロウ。

あなたは、自分が歩行者のとき、あるいは運転者のとき、どのように対応していますか?

2021年4月14日水曜日

記憶に残ったか、どうか。

今回は短いです。

ずばり、芸人さんのネタとPRの融合について、です。

先日ネットニュースで、M-1グランプリ2020チャンピオンのマヂカルラブリーさんが、脱毛サロン「キレイモ」の入社式に登場し、キレイモのブランド名を織り交ぜた漫才を披露されました。以前からあったネタのオチにキレイモを入れ込んだ形の漫才になっていたのですが、思えばこういったPR融合型の漫才っていつからあったんだろうと考えてみました。

結果、いつからあったかは答えが出なかったのですが、明らかにこういったものが流行りだしたのは2020年からだと思います。少なくとも、一般人目線で肌で感じるのは去年からです。理由はシンプル、M-1グランプリ2019のチャンピオンがミルクボーイのお二人だからです。

皆さんご存知の通り、ミルクボーイさんがM-1で披露した「コーンフレーク」「もなか」などのネタは、中核となるワードを変えることで様々な応用が利きます。2020年の1年間でミルクボーイのお二人がワードを指定されて作った漫才はかなりの数になっているのではないかなと思います。

ミルクボーイさんのネタ構成は素晴らしい発明だと思います。なので、ミルクボーイさんのネタだからこそ対応しやすいことを「じゃあマヂカルラブリーさんも…」となったらあまりに安直すぎない?と思ってしまいます。

最近YouTubeを見ていると、ミルクボーイのお二人が関西ペイント社の「接触感染対策テープ」のPRとして披露している漫才が良く流れてきます。このネタの中では同商品の名前が連呼されるので、ぼんやり見ていても商品名はある程度記憶に残りました。PR動画の冒頭で内海さんが「ほな関西ペイントやないか!」と言っていたので、社名まで覚えてしまったぐらいです。

対してキレイモの方は、まぁ入社式用なのでPR重視ではなかったと思いますが、ブランド名は記憶に残っていませんでした。この投稿を作成するにあたり、Yahoo!ニュースを遡って調べたぐらいです。

断っておきますが、僕はマヂカルラブリーさんのネタ大好きです。マヂカルラブリーさん自体好きになって、オールナイトニッポン0の放送が始まってからは毎週聞いています。めっちゃ面白いです。リスナーもなかなかの狂った人ぞろいで、投稿メールまで面白いこと…。だからこそ、今後マヂカルラブリーさんのお仕事が増えていく中で「無理のあるPR」が増えなきゃいいな、とは思ってます。マヂカルラブリーさんのネタはやっぱり世界観ありきだと思うので。

吉本興業さん、仕事はちゃんと選んであげてくださいね。余計なお世話でしょうけど。

2021年4月13日火曜日

価値あると予想されるものを買う。

先日、ソフトテニスの勉強の為に1冊の本を買いました。


発行が2012年の本で、あまり在庫がありませんでした。僕が購入したのもAmazonで中古で見つけたものです。

2,200円の価値があるか

今、上に貼ってあるリンクには値段がいくらで表示されているでしょうか。この本の定価は2,100円です。本の後ろにそう印刷されています。これに対し、僕がAmazonで購入した時の価格は中古で2,200円でした。約10年前の本が定価より高く取引されています、しかも中古で。ちなみに楽天で探した時は4,000円超のものも出てきました…。

希少価値がついて中古のものが高い値段で取引されるのはままあることだと思います。なのでそれについては特に問題ないとして、大切なのは僕にとってこの本が2,200円を出す価値があったかどうか、です。

ギャンブルである

世の中にはソフトテニス、テニスの技術本は山ほどあります。あれもこれも読みたいといって手を出していたらお金がかかって仕方ありません。ですので、買うときはある程度狙いを絞っていく必要もあるでしょう。その中で、僕がなぜこの本を選んだのか。中身、読んだことないんですよ?

僕がこの本を読んで2,200円分の価値を見出せるかどうかは読んでみないとわかりません。これには2つの視点があって、1つはこの本自体が2,200円の価値を持っているかどうかということと、もう1つはこの本の中から2,200円分の価値を抽出できるかどうかということです。

まずは後者について考えると、厳密にいえばこれはこの本から何%の価値を引き出す力が僕にあるかどうかという話になります。僕に読解力や応用力がなければどれだけ価値の高い本を読んでも引き出せるものは少なくなります。逆も然り。なので前者も併せて考えたとき、この本の持っている価値が例えば10,000円分ぐらいあるとして、僕がその価値を100%引き出す能力があったとしたら、最高ですよね。

ここでギャンブル要素が出てくるわけですが、そもそも本そのものの内容がふたを開けてみたら「2,200円分もないじゃないか…」とうことはあり得ます。あまり大きな声では言えませんが、今まで買ってみた技術書の中にはそういう本もなかったわけではありません…。書店で本を買う場合は多少中身を閲覧してから買うことができますが、今回はネットショッピング、中身をうかがい知ることはできません。しかし、僕は今回の買い物をある程度「勝てるギャンブル」と認識して即決することができました。ではその勝ち要素は何か?

それは見て強くなる!ソフトテニス塾の東塾長が参考にし、紹介しているということです。

僕は東塾長のオンライン塾にも参加しているぐらい、色々と自分のトレーニングや子どもたちへの指導の助けになっているので塾長に信頼感を持っています。なので、その相手が参考にしている本だから買う価値は十分にあるだろう、という判断です。

商売は人と価値

サービスや商品の価値がどれだけ高くても、それが売れるとは限らないですよね。まぁ塾長はこの本を売っているわけではないですが、たぶん勧めている人が他の人だったら「へぇー。」でスルーしていたと思います。「誰が」売っているか、勧めているかというのはときに間違いを犯すこともありますが、往々にして人の判断の大きな材料になるものです。人の魅力と、モノ・サービスの価値、これらがうまくかけ合わさったときに、ビジネスは上手く回りだすのかなと改めて感じました。

2021年4月10日土曜日

これがお国柄だったら本当に終わってる。

まー毎日毎日とんでもねぇなってニュースが目に入ってくるもんで。今回のはなかなかにセンシティブな内容かと思いますが、あえて書きたいと思います。


あまりにもな内容なので苦手な方はニュース記事を開かないことをお勧めしますし、この記事についても読むのはここでおしまいにしていただいて構わないと思います。

人が人でない価値観


当たり前ですが、女性は人間です。モノではない。「人間であること」において男女の差はありません。人間である以上、親からしたら男であろうが女であろうが「我が子」であるはずです。その「我が子」である娘がレイプをされたと被害を訴えたら「家族に恥をかかせた」という思考に至るとは、これはもはや全く理解のできない価値観の相違です。というより、このような思考を「価値観」というくくりで考えたくありません。なんでこんなことになっているんだ?

恐ろしいのは家族が被害者少女を「家族の恥」と切って捨てるだけでなく、その辱めを見て嘲笑し、暴力を振るい、それに賛同する大衆が存在するという事実です。少人数の異常行動に対して恐怖を感じて遠巻きに見るしかない大衆なら存在してしまうかもしれません。これも結局助けないという意味では同罪に近いですが、僕だってそんな大衆の一部になる可能性を捨てきれないのも事実です。しかし、その様子を見て高揚し、愛国スローガンを叫ぶ者すらいるというのはどういうこと?

インドからは性暴力被害に遭った女性がさらにひどい暴力を受けるというニュースがたびたび流れてきます。これはこの国のすべてを映しているわけではないだろうし、一部だと信じたい気持ちはありますが、いずれにしても到底看過できない風潮があるのは事実です。インドは非常に発展目覚ましい国だと聞きますが、経済や技術の進歩にかまけてこのような人権に関する認識の低さを放置することは、この国にとってデメリットしかないと思います。

一つの国の社会における倫理観や価値観というものはそうそう簡単に変わらないものだとは思いますが、このニュース記事によると同国の有名女優が非難の声をあげているということは光明かもしれません。少しずつでも前に進んで行ってくれることを願わずにはいられません。また、被害を受けた少女にはこの先の人生で必ずや幸せをつかみ取ってほしいと心から願います。

2021年4月8日木曜日

パワハラって二極化してない?

まーたろくでもないニュースを目にしてしまいました。



生徒を心理的に追い詰めるだけで指導をしない教師。これが10年前から常態化していたことが明るみに出たようですが、十分すぎるパワハラですね。この看護学校の体質が劣悪なものであることは議論の余地はないとして、僕は「パワハラ」というものについて考えたいと思います。

昔はパワハラなんて当たり前?

パワハラという言葉が普通に使われるようになって、それこそもう10年ぐらい経つんじゃないですか?知りませんけど。で、会社やスポーツ指導現場とかでのパワハラの話が出るたび、一定数「昔はこんなの当たり前だった」を語る層が出てくるんですよね。そして「時代は変わったんだ!」で話が終わる。ここまでテンプレのような気がします。

確かに、昔ながらの日本の組織ってパワハラ体質なところがかなりあったと思います。それに対して、昔の人たち(というのは失礼かもしれませんが)は歯を食いしばって頑張ってきたから今があるんだ、と。でもそれが仕事でいえば、昔は高度成長期にあったから耐えた分給料も上がったし耐えられたんだとか、いやいや今の若い人たちは精神的に弱すぎるとか、そういう話ばかり。はたして本質をついている話はどれぐらいあるのやら…。

パワハラの純度が上がっているのではないか


僕が本質を突けているかどうかはわかりませんが、僕の考えをお話します。

人って、誰かからしてもらった良いことは忘れがちですけど、嫌なことは結構覚えてたりしませんか?パワハラも受けた人たちは嫌な記憶として残りますよね。それに対して、その人たちが次世代に取る行動って2パターンに分かれると思うんですよ。

一つは、自分たちがされて嫌だったことは次世代にはしない、と自戒する人たち。
もう一つは、自分たちもそうやって育てられてきたんだから、次世代にも同じことをするべき、となる人たち。

前者はシンプルに優しくなるってことで良いんですが、僕が考えたいのは後者です。自分たちもパワハラを受けてきたから同じようにする!のは百歩譲って仕方ないのかなと思うにしても、この人たちが受けてきたのはパワハラだけなんですかね?もしかしたら、厳しいことも言われたけどその分フォローされて助けてもらったこともあるんじゃないでしょうか。でも上述したように人は嫌なことは良く覚えていても良くしてもらったことはけっこう忘れがちだと思うんですよ。

そうするとどうなるでしょうか。前世代の人たちが行ったパワハラとフォローの両面が、現世代のフィルターにかかってフォローだけ取り除かれてしまい、パワハラだけが残る。そしてそれは現世代から次世代のフィルターを通してさらに純度の高いパワハラへ…なんてサイクルを想像してしまうんですけど、どうでしょう。

指導として追い込むならフォローもセットで


この看護学校のニュースを見ていても、厳しいことを言うばかりでフォローが一切なかったということに一番問題を感じるんですよね。看護学生というのは、その後命を預かる看護師という仕事を目指す以上、一定の厳しさの中に身を置かなければいけないと思います。でも、そこはやはりこれから経験を積む前の学生、厳しいことを指導しながら、フォローしたり経験したことのフィードバックを行ったりして育てていかなければなりません。問題となっているパワハラ教師の行ってきたことは、圧力をかけるだけで看護学生を伸ばす努力を怠っているので指導とは到底呼べません。しかし、本来厳しさとセットになるべきフォローなどの部分が抜け落ちているのは、なんだかパワハラの純度が上がってきてしまっているサイクルがあるのではないかなぁと感じてしまいました。

2021年4月5日月曜日

自己防衛、必要だとは思うんだけれど。

昨日、YouTubeにて中川翔子さんのチャンネル新動画が公開されているのが、僕のホーム画面に表示されてきました。タイトルは「【朝倉海コラボ】逃げるは恥じゃないし役に立つ!最強の護身術を習って実践してみた!」格闘家・朝倉海さんとのコラボ動画で、すぐに使える護身術を習う、というものです。


見てみると、朝倉海さんの教えている動きって合気道の動きに近いのかなと思いました。体の筋肉の中で力の大きなものをうまく使って、腕やカバンを掴まれた時などにうまく振りほどく方法などをレクチャーされています。

ただ、そもそもどうして中川翔子さんが護身術なんでしょうね?

ずっと悩まされ続けてきたこと

その十分すぎる、おそらく理由となることは、先日別の動画の中で中川さんが語っておられます。



ネットニュースにもなっていたので、動画そのものを見てはいなくても中川さんがこれまでのストーカー被害について胸の内を語ったということを、知っていた方も多いのではないでしょうか。今回はこの一連の流れについて感じたことをまとめていきます。

ストーカーという存在


“ストーカー”という言葉について調べてみると、Wikipediaには以下のような記載がされていました。
ストーカー(英: stalker)とは、つきまといをする人のことを指している。

なるほど、シンプルに考えるとこうなりますね。ストーカーにもいろいろあるみたいなので、分類についてはWikipediaの「ストーカー」の項目を参照してください。僕も勉強になりました。

インターネットの発達した現代では、SNSアカウントを通じて付きまとい行為をする人もいて「ネットストーカー」なんて呼ばれたりもしますが、中川さんが動画の中でお話されているのはどちらかというと物理的・直接的な意味でのストーカーのようです。こういった被害は有名人の方は特に受けやすい傾向にあるでしょうが、そうでない一般社会で生活している人にも起こりうる話です。そういうことへの注意喚起や、現在の法や警察の対応できる範囲に対する警鐘という意味も込めて、中川さんは動画を公開されたようですね。中川さんも直接的に身の危険を感じるレベルのストーカー行為を受けたこともあって、護身術というお話につながったのかなと思います。ですが、それでもやっぱり中川翔子さんが護身術を学ばなければいけないことは腑に落ちません。

防衛する側が時間と労力を費やさなければならない現実

そもそも、中川翔子さんにストーカー行為をするような人がいなければ、彼女が身の危険を感じるようなことがなければ、引っ越しを繰り返す必要もないし護身術だって学ぶ必要はないと思います。断っておきますが、僕は中川翔子さんが護身術を学ぶことに反対しているのではありません。学びたいことは学べば良いし、その中で中川さん自身が「学んで良かった!」ということが得られれば問題ないわけです。今回はその流れの中で1年ぶりに朝倉海さんとの動画コラボが実現したとのことで、それはそれで良かったというか、ピンチをチャンスに変えていくというか、その強い姿勢は素晴らしいなと感じます。

そしてストーカーなどが社会問題化すればするほど、護身術というのはスクールビジネスとしても成立していくわけですよね。これも勘違いしないでいただきたいのですが、護身術をビジネス化することを否定したいのではありません。そこに需要がある以上、ビジネスとして成立してしかるべきです。ただ一つ気になるのは、護身術に対する需要は「必要性」なのか「欲求」なのかということです。

必要に迫られる需要=必要性需要もあれば、欲しくて求める需要=欲求性需要もありますよね。あ、そんな言葉があるかどうかは知りません、僕が勝手に名付けてます。護身術のようにサービスを提供するビジネスを例にとると、けがや病気などで必要に迫られて病院に行く人はいるでしょうが、病院に行くのが好きで好きでたまらなくて行く人はそんなにいないと思います。逆に、東京ディズニーランドが好きで好きでたまらなくて何度も遊びに行く人はいるでしょうが、東京ディズニーランドに遊びに行かないと生活が成り立たないから行くという人も、まぁほとんどいないと思います。なので、病院は必要性で東京ディズニーランドは欲求性です。そう考えたときに、護身術は欲求として求める人もいるとは思いますが、必要性を感じて学ぶ人の方が多いように思います。中川さんの場合は必要性需要から発生したものを上手にビジネス(自身のYouTube動画)に転換することができた、というところでしょうか。でもみんながみんなそうはならないですよね。

必要性に対応するビジネスが悪いわけではありません。ですが、個人が自身の抱える需要に対して費やせる資金が限られている以上、必要性需要に費やす費用が膨れ上がると当然欲求に対して費やすことのできる資金を圧迫します。つまり、必要に迫られてあれやこれやとお金を使うことになると、自分がしたいことができない、買いたいものが買えないなんてこともありうるわけです。これって、生活の豊かさを奪われてますよね。中川さんも動画の中で、ストーカーから逃れる為に費やしたお金、時間は取り戻せないし、そのことに悔しさを感じる旨のお話をされていました。ストーカー行為は心身の危険を感じさせるだけでなく、相手の生活の豊かさまで奪いかねないわけです。

ストーカー行為と脳の発達

では、ストーカー行為に走ってしまう人は、なぜそのようになってしまうのか。先に言っておきますが、僕は専門家ではないので詳しいことはわかりません。そこらへんを詳しく学びたい人は本を読むなりGoogle先生の力を最大限活用するなりしていただければと思います。

ストーカー行為を肯定するわけではない、ストーカーを行う人を擁護するつもりはない、という前提を述べた上で、ここから先を書きます。

ストーカー行為を行う人って、たぶん自分の行動が迷惑行為だという認識はないですよね。わかっていてもやめられない人もいるかもしれません。中には、表向きには「ストーカーってダメだよね」と言いながら当の本人がストーカーを行っているというケースもあるぐらいでしょう。いずれにしても、その行為が社会的に問題ある行為だという自己への認識が決定的に欠如していると思います。そして、自己の行為への正当化意識が強い。これは意識的にそうしているというより、意識の陰にある大きな無意識の中にあるのではないかと思います。

これまでの仕事の中で発達に偏りのある方(あえて「発達障害」とは書きたくないのですが)と関わることも多かったのですが、一つの傾向としてあるのが「自分がそれをされたら嫌なのに、同じことを他者にしても嫌がられるということがわからない」ことが多い、ということです。これは、ただ文字にするとえらくわがままな人の考えに見えますが、そもそも脳の発達の都合でその辺の想像を働かせる能力が極端に低い人が一定数いるということです。なので「それは迷惑行為だよ!」ということを想像できるようになることを期待すること自体、なかなか無理があるんですよ。もちろん、時間をかけて理解を促すことはできますが、なんでそんなこともわからないの?という前提で話すのはなかなかに酷です。

もう一つ断っておきますが、「発達障害の人=ストーカー」という話ではないです。ですが「ストーカー→発達に偏りがある可能性がある」は成立すると思っています。そもそも、世の中全ての人々、それぞれに何かしらの発達の偏りがあります。大なり小なり。それがある程度の基準を超えていると医師が判断した時に「発達障害」という障害名がつけられ、療育手帳が支給される。僕自身も、自分って偏ってるなと感じる部分があります。みんなそんなもんです。僕が「発達障害」という言葉をあまり使いたくない理由はここにあります。誰かが決めた線の向こう側にいる人は発達障害者で、そうじゃない人は健常者って。みんなそれぞれ偏ってますから。

自己防衛ばかりが求められる世の中はおかしい

とはいえ、やっちゃダメなことはやっちゃダメです。そこはシンプルだと思います。何かの犯罪に巻き込まれた人に対して「危機管理意識が足りない」とか「自己防衛の対策をもっと講じておくべき」など言う人もいますが、そうじゃないでしょう。誰かに危害を与える奴が悪いに決まってる。上に述べたように、自己防衛の必要性に迫られるばっかりに、その人の生活の豊かさが脅かされるのは間違っていると思います。では、どのようにしていけば良いのか。

僕なりの考えですが

  1. 教育を見直す
  2. 警察の介入できる範囲を見直す
  3. 有名人については護衛のシステムをもっと充実させる
ということを考えます。

教育については、幼少期からの道徳教育というのはまだまだ工夫をしていって良いのではないかなと思います。詳しいことは知りませんが、小学校でも道徳の授業はあると思うので、文部科学省からのある程度の方針は出ているにしても、現場での教育内容はその学校や担当する先生の力量に委ねられている部分が大きいのではないかと思います。その中で「こういうことはやっちゃダメ!」というような話はよくあると思うのですが、他者の痛みを想像する、自己の行為を客観視するための取り組みはもっと充実させていっても良いのではないかなーと思います。あ、実情を知らないのでイメージで話していますよ。

警察については、やはり「何かあってからでないと動けない」を改善するべきだと思います。「何かあった」というのがかすり傷程度ならまだしも、その時点で命にかかわってしまっていたら話になりませんし、命に別状はなくとも心に大きな傷を負ってしまうことだってあるわけです。線引きが難しいのはわかります。警察官は逮捕権という絶大な権力を持たされています。これは一歩間違えば罪のない一般市民の自由を奪いかねない力なので、行使できる範囲を慎重に検討していかなければいけません。そして、悲しいことに世の中では事件や事故がひっきりなしに起こっているので、まだ何も起こっていない段階の事象に警察官の人員を割ききれない事情もわかります。ですが、現状はやはり助けを求めている人を救うに足りていないと思いますので、見直しをしてしかるべきと考えます。

最後の有名人の護衛ですが、先に述べた通り護衛を雇えばその分費用もかかりますし僕の意見としては先と矛盾するようなところもあるのですが、やはり著名人を抱えるタレント事務所などは十分に対処すべきところではないのかなと思います。まぁ家の前に四六時中護衛が立っていたら「ここに有名人が住んでいますよー」と宣伝しているようなものなので、やり方は考えなければいけないと思いますが…。警備システムの充実している住居を提案するなどできると思いますし、事務所も所属タレントの安全を守るための費用をケチるようなことがあっては話にならないと思います。

とまぁこんな感じで好き勝手書いてまいりました。そもそもの発端は「しょこたん、ストーカーの件もあったから護身術学んでるの?事務所もっと守ってやれよ。ストーカーの取り締まりもっと考えろよ」と思ったことです。途中でも書いた通り、ストーカー行為の違法性や迷惑さ、そもそも自分の行為がストーカーかどうかということすら、認識できない人が一定数います。そんな人たちに「やめてください」を発信し続けてもおそらくムダです。これから先の社会を良くしていくために根っこから作り上げていくには、教育の見直しが必要だと思います。でももう大人になってしまっている人たちにはそんなもの間に合わないので、取り締まりの方法はもっと見直すべきだと思います。「認識できない、理解できない、だから仕方ない」ではなく、わかってようがわかってなかろうがストーカーなど迷惑行為については容赦なく取り締まる。それで良いと思います。

誰もが安心して暮らせる社会を目指して。それを夢物語として切って捨ててしまうと、絶対に実現しません。どれだけ遠い理想であっても、近づこうとする想いを皆が持てれば近づいていきます。僕も社会の一員としてできることをしていきたいと思う次第です。

2021年4月2日金曜日

白子初上陸記。

千葉県長生郡白子町で毎年開催されている全国小学生ソフトテニス大会を、初めて見に行ってきました。今回はその記録です。

ソフトテニスの聖地 白子



昨年は残念ながら中止となってしまった同大会。例年は4年生以下の部と5年生以下の部にわかれて開催されていますが、今回は学年制限なしの各県から男女4ペアずつ。エントリーの枠数がそもそも少ないことと、参加を見合わせている県もあったりして、例年と比べればやはり小規模な大会となったようです。しかし、それでも白子は白子。ソフトテニスをがんばる小学生にとっては憧れの舞台です。形は変われどこのように大会を開催していただけたことには感謝しかありません。

ある程度の前情報として、白子の町中にはたくさんのテニスコートがあり、近隣の旅館やホテルの持ち物であったりというのは聞いていたのですが、公営のコートじゃないからナビで検索してもイマイチ場所がわかりません。結局、テニスコートが集まっているエリアの周囲をぐるっと一周してしまいました。

販売ブースへ

こういう全国大会には各メーカーが販売ブースを設置しますが、僕はテニっ子のブースへ直行。お世話になっている間庭さんに「スラックレール体験していって~」と言われていたので、さっそく体験しに行きました。さらにその場で、Twitterやオンラインサロンでお世話になっているもちおさん(@softenisuke)とも合流。2人してスラックレールを体験。



これがどのようにソフトテニスに絡んでくるのか。これはそもそもスラックラインという綱渡り競技のトレーニング用に作られたものとのことですが、この上に立ち不安定な状態を作ることで自然と身体のバランスを取ろうとする作用が活性化され、姿勢が良くなるのです。嘘みたいな本当の話。エイプリルフールはもう終わりました。実際に体験してみて、その効果に驚き、手持ちが少なかったのでネット通販のURLを教えてもらい、その場でネット注文。昨日、自宅にも届きました。これはまず僕の個人練習会で試してみて、ゆくゆくは少しずつ買い足していくつもりなのでジュニアチームでも活用できそう。

製品の紹介ウェブサイトはこちら。



一応、こちらからも買えます。

楽天



amazon



道中


さて、そもそも遠く離れた千葉県白子町までどのようにして行ったかというと、車で行きました。軽自動車です。片道約550km。やればなんとかなるもんです。

白子大会は3月29~31日という日程でしたが、29日(月)は夜に守山ジュニアの練習があったので、それが終わってから出発しました。とりあえず夜中行けるところまで走り、3時を少し回ったあたりで静岡市のSAに到着したのでそこで仮眠。起きたら7時だったので、そこから再出発したのですが、どうもナビの様子がおかしい。

これは、首都高に誘導されているのでは…?

予感は的中で、気づいたときには東京料金所前の朝の渋滞に巻き込まれる始末。このまま首都高を走っていては到着がとんでもなく遅くなると思いなんとかう回路を探し、地下のトンネルを経由して東京湾アクアラインへ抜ける道を見つけ、そちらへ進路変更。そこからはスムーズに進むことができました。トラブルと言えば、東京料金所で左端のETCレーンを抜けようとしたら鳩がレーンの中央に居て、なかなかどいてくれずやむを得ず一瞬停車したぐらいですね。

ご存知の方も多いと思いますが、東名高速を走っていくとなんせ静岡県が長いんですね。いつまで続くねん、てなります。先日石川県に行った時も「石川、縦に長すぎィ!」となりましたが、良い勝負です。

唯一不安だったのが、ガソリンが片道もつかどうかということ。僕の車のディスプレイには、ガソリンを満タンに入れるとだいたい航続可能距離400km程度と出るのですが、今回のは片道550km。足りんやん。と思っておりましたが、そこはやはり高速道路、停車と発進をそれほど行わないのでかなり燃費よく走れたようで、白子町に着くまで十分ガソリンは足りました。

30日のスケジュール


昼頃に到着したのですが、大会としては予選リーグを行う一日でした。ですが、先に述べたように参加者数が少なかったこともあり、15時ごろにはその日に予定されていた試合がほぼ終わりました。思ったより早く終わったので、早めに現地を出発してどこかで美味しいものでも…と思っていた矢先、滋賀県代表チームの皆さんと鉢合わせ。「これから○○コートで練習するよーモリオカコーチも来るでしょ?」とのこと。

喜んで参加させていただきました!

身体が万全ではないので子どもとの乱打勝負にも負ける始末でしたが、とりあえず元気よくやってきました!2年前に代表Bチームの監督をさせてもらってた時も、こんな感じで子どもに負けずに声を出すおじさんをやってたなぁ。またやりたい、というか、どうやらまたやらせてもらえそうです。ありがたい。

そんな感じで17時まで代表チームの練習に参加し、改めてそこから出発。関東に来たからには日高屋に行っておきたいなぁと思い、40km離れた千葉市内にある日高屋まで行ってチゲ味噌ラーメンを食べて、20時ごろに帰途につきました。2時ごろには自宅まで帰ってくることができました。

戦利品紹介


全てを写真に撮っていませんが、一部。


道中の海ほたるで「それっぽいもの」を探した結果たどり着いたおせんべい。これは現地で出会えた滋賀チームの皆さんに配りました。


その海ほたるのファミマで買ったイチゴミルク。関西では買えないやつ。美味しかった…。


上述した日高屋のチゲ味噌ラーメン、餃子セット。東京近郊としてはリーズナブルだし美味しい。そして、関西では食べられない!間庭さんには「ここまで来て日高屋?」と不思議がられましたが、地元で食べられないから良いのですよ。


その間庭さんからいただいた「TENIKKO」ロゴ入りマスク。非売品。滋賀で持ってるのは僕だけかも!?知らんけど…笑


テニっ子ブースで購入した「パパテニ」Tシャツ。僕も一応父親なんで、着る資格ありです。

でも何よりの戦利品は現地に行くからこそ会える人に会えたこと。そして、白子大会というものをこの目で見れたことです。例年とは違うところがあったとはいえ、一つの目標とする場所をこの目で見てイメージを持てたことは大きいと思っています。未知の目標はイメージしにくくても、既知の目標はイメージしやすい。子どもたちにイメージを伝えるためには、僕がまずイメージを持つことだとも思っています。

後日談


地元に帰ってきてから翌日の夜、大会結果の嬉しいお話を聞きました。滋賀県代表で出場していた野洲ジュニアの野間・越野ペアが女子の部で優勝したとのこと。

本当におめでとうございます!

全国大会での優勝、つまりは日本一を勝ち取ったわけです。滋賀県代表の選手が。その試合をこの目で見ることができなかったのは少し悔やまれますが、大きな刺激を受けました。滋賀県でトップになる選手は全国でもこれだけの結果を出している。つまり、我々は全国トップレベルと予選から競い合うことになる。それはとてもワクワクすることだと思います。

野間・越野ペアと言えば、4年生の時に出場した白子大会でベスト4入りをしたことも衝撃的でした。その1年後、今度こそはの想いをもって臨むはずだった白子大会がコロナウイルスの影響で中止になり、2年越しの想いを果たしたことになります。ドラマチックだなぁ。

最後に。
次は、守山ジュニアの選手と共に、白子へ行きます。それだけが全てではないけど。きっと、あの子たちと一緒なら行ける。