昨日、YouTubeにて中川翔子さんのチャンネル新動画が公開されているのが、僕のホーム画面に表示されてきました。タイトルは「【朝倉海コラボ】逃げるは恥じゃないし役に立つ!最強の護身術を習って実践してみた!」格闘家・朝倉海さんとのコラボ動画で、すぐに使える護身術を習う、というものです。
見てみると、朝倉海さんの教えている動きって合気道の動きに近いのかなと思いました。体の筋肉の中で力の大きなものをうまく使って、腕やカバンを掴まれた時などにうまく振りほどく方法などをレクチャーされています。
ただ、そもそもどうして中川翔子さんが護身術なんでしょうね?
ずっと悩まされ続けてきたこと
その十分すぎる、おそらく理由となることは、先日別の動画の中で中川さんが語っておられます。
ストーカーという存在
ストーカー(英: stalker)とは、つきまといをする人のことを指している。
なるほど、シンプルに考えるとこうなりますね。ストーカーにもいろいろあるみたいなので、分類についてはWikipediaの「ストーカー」の項目を参照してください。僕も勉強になりました。
インターネットの発達した現代では、SNSアカウントを通じて付きまとい行為をする人もいて「ネットストーカー」なんて呼ばれたりもしますが、中川さんが動画の中でお話されているのはどちらかというと物理的・直接的な意味でのストーカーのようです。こういった被害は有名人の方は特に受けやすい傾向にあるでしょうが、そうでない一般社会で生活している人にも起こりうる話です。そういうことへの注意喚起や、現在の法や警察の対応できる範囲に対する警鐘という意味も込めて、中川さんは動画を公開されたようですね。中川さんも直接的に身の危険を感じるレベルのストーカー行為を受けたこともあって、護身術というお話につながったのかなと思います。ですが、それでもやっぱり中川翔子さんが護身術を学ばなければいけないことは腑に落ちません。
防衛する側が時間と労力を費やさなければならない現実
そもそも、中川翔子さんにストーカー行為をするような人がいなければ、彼女が身の危険を感じるようなことがなければ、引っ越しを繰り返す必要もないし護身術だって学ぶ必要はないと思います。断っておきますが、僕は中川翔子さんが護身術を学ぶことに反対しているのではありません。学びたいことは学べば良いし、その中で中川さん自身が「学んで良かった!」ということが得られれば問題ないわけです。今回はその流れの中で1年ぶりに朝倉海さんとの動画コラボが実現したとのことで、それはそれで良かったというか、ピンチをチャンスに変えていくというか、その強い姿勢は素晴らしいなと感じます。
そしてストーカーなどが社会問題化すればするほど、護身術というのはスクールビジネスとしても成立していくわけですよね。これも勘違いしないでいただきたいのですが、護身術をビジネス化することを否定したいのではありません。そこに需要がある以上、ビジネスとして成立してしかるべきです。ただ一つ気になるのは、護身術に対する需要は「必要性」なのか「欲求」なのかということです。
必要に迫られる需要=必要性需要もあれば、欲しくて求める需要=欲求性需要もありますよね。あ、そんな言葉があるかどうかは知りません、僕が勝手に名付けてます。護身術のようにサービスを提供するビジネスを例にとると、けがや病気などで必要に迫られて病院に行く人はいるでしょうが、病院に行くのが好きで好きでたまらなくて行く人はそんなにいないと思います。逆に、東京ディズニーランドが好きで好きでたまらなくて何度も遊びに行く人はいるでしょうが、東京ディズニーランドに遊びに行かないと生活が成り立たないから行くという人も、まぁほとんどいないと思います。なので、病院は必要性で東京ディズニーランドは欲求性です。そう考えたときに、護身術は欲求として求める人もいるとは思いますが、必要性を感じて学ぶ人の方が多いように思います。中川さんの場合は必要性需要から発生したものを上手にビジネス(自身のYouTube動画)に転換することができた、というところでしょうか。でもみんながみんなそうはならないですよね。
必要性に対応するビジネスが悪いわけではありません。ですが、個人が自身の抱える需要に対して費やせる資金が限られている以上、必要性需要に費やす費用が膨れ上がると当然欲求に対して費やすことのできる資金を圧迫します。つまり、必要に迫られてあれやこれやとお金を使うことになると、自分がしたいことができない、買いたいものが買えないなんてこともありうるわけです。これって、生活の豊かさを奪われてますよね。中川さんも動画の中で、ストーカーから逃れる為に費やしたお金、時間は取り戻せないし、そのことに悔しさを感じる旨のお話をされていました。ストーカー行為は心身の危険を感じさせるだけでなく、相手の生活の豊かさまで奪いかねないわけです。
ストーカー行為と脳の発達
では、ストーカー行為に走ってしまう人は、なぜそのようになってしまうのか。先に言っておきますが、僕は専門家ではないので詳しいことはわかりません。そこらへんを詳しく学びたい人は本を読むなりGoogle先生の力を最大限活用するなりしていただければと思います。
ストーカー行為を肯定するわけではない、ストーカーを行う人を擁護するつもりはない、という前提を述べた上で、ここから先を書きます。
ストーカー行為を行う人って、たぶん自分の行動が迷惑行為だという認識はないですよね。わかっていてもやめられない人もいるかもしれません。中には、表向きには「ストーカーってダメだよね」と言いながら当の本人がストーカーを行っているというケースもあるぐらいでしょう。いずれにしても、その行為が社会的に問題ある行為だという自己への認識が決定的に欠如していると思います。そして、自己の行為への正当化意識が強い。これは意識的にそうしているというより、意識の陰にある大きな無意識の中にあるのではないかと思います。
これまでの仕事の中で発達に偏りのある方(あえて「発達障害」とは書きたくないのですが)と関わることも多かったのですが、一つの傾向としてあるのが「自分がそれをされたら嫌なのに、同じことを他者にしても嫌がられるということがわからない」ことが多い、ということです。これは、ただ文字にするとえらくわがままな人の考えに見えますが、そもそも脳の発達の都合でその辺の想像を働かせる能力が極端に低い人が一定数いるということです。なので「それは迷惑行為だよ!」ということを想像できるようになることを期待すること自体、なかなか無理があるんですよ。もちろん、時間をかけて理解を促すことはできますが、なんでそんなこともわからないの?という前提で話すのはなかなかに酷です。
もう一つ断っておきますが、「発達障害の人=ストーカー」という話ではないです。ですが「ストーカー→発達に偏りがある可能性がある」は成立すると思っています。そもそも、世の中全ての人々、それぞれに何かしらの発達の偏りがあります。大なり小なり。それがある程度の基準を超えていると医師が判断した時に「発達障害」という障害名がつけられ、療育手帳が支給される。僕自身も、自分って偏ってるなと感じる部分があります。みんなそんなもんです。僕が「発達障害」という言葉をあまり使いたくない理由はここにあります。誰かが決めた線の向こう側にいる人は発達障害者で、そうじゃない人は健常者って。みんなそれぞれ偏ってますから。
自己防衛ばかりが求められる世の中はおかしい
とはいえ、やっちゃダメなことはやっちゃダメです。そこはシンプルだと思います。何かの犯罪に巻き込まれた人に対して「危機管理意識が足りない」とか「自己防衛の対策をもっと講じておくべき」など言う人もいますが、そうじゃないでしょう。誰かに危害を与える奴が悪いに決まってる。上に述べたように、自己防衛の必要性に迫られるばっかりに、その人の生活の豊かさが脅かされるのは間違っていると思います。では、どのようにしていけば良いのか。
僕なりの考えですが
- 教育を見直す
- 警察の介入できる範囲を見直す
- 有名人については護衛のシステムをもっと充実させる
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