まーたろくでもないニュースを目にしてしまいました。
生徒を心理的に追い詰めるだけで指導をしない教師。これが10年前から常態化していたことが明るみに出たようですが、十分すぎるパワハラですね。この看護学校の体質が劣悪なものであることは議論の余地はないとして、僕は「パワハラ」というものについて考えたいと思います。
昔はパワハラなんて当たり前?
パワハラという言葉が普通に使われるようになって、それこそもう10年ぐらい経つんじゃないですか?知りませんけど。で、会社やスポーツ指導現場とかでのパワハラの話が出るたび、一定数「昔はこんなの当たり前だった」を語る層が出てくるんですよね。そして「時代は変わったんだ!」で話が終わる。ここまでテンプレのような気がします。
確かに、昔ながらの日本の組織ってパワハラ体質なところがかなりあったと思います。それに対して、昔の人たち(というのは失礼かもしれませんが)は歯を食いしばって頑張ってきたから今があるんだ、と。でもそれが仕事でいえば、昔は高度成長期にあったから耐えた分給料も上がったし耐えられたんだとか、いやいや今の若い人たちは精神的に弱すぎるとか、そういう話ばかり。はたして本質をついている話はどれぐらいあるのやら…。
パワハラの純度が上がっているのではないか
僕が本質を突けているかどうかはわかりませんが、僕の考えをお話します。
人って、誰かからしてもらった良いことは忘れがちですけど、嫌なことは結構覚えてたりしませんか?パワハラも受けた人たちは嫌な記憶として残りますよね。それに対して、その人たちが次世代に取る行動って2パターンに分かれると思うんですよ。
一つは、自分たちがされて嫌だったことは次世代にはしない、と自戒する人たち。
もう一つは、自分たちもそうやって育てられてきたんだから、次世代にも同じことをするべき、となる人たち。
前者はシンプルに優しくなるってことで良いんですが、僕が考えたいのは後者です。自分たちもパワハラを受けてきたから同じようにする!のは百歩譲って仕方ないのかなと思うにしても、この人たちが受けてきたのはパワハラだけなんですかね?もしかしたら、厳しいことも言われたけどその分フォローされて助けてもらったこともあるんじゃないでしょうか。でも上述したように人は嫌なことは良く覚えていても良くしてもらったことはけっこう忘れがちだと思うんですよ。
そうするとどうなるでしょうか。前世代の人たちが行ったパワハラとフォローの両面が、現世代のフィルターにかかってフォローだけ取り除かれてしまい、パワハラだけが残る。そしてそれは現世代から次世代のフィルターを通してさらに純度の高いパワハラへ…なんてサイクルを想像してしまうんですけど、どうでしょう。
指導として追い込むならフォローもセットで
この看護学校のニュースを見ていても、厳しいことを言うばかりでフォローが一切なかったということに一番問題を感じるんですよね。看護学生というのは、その後命を預かる看護師という仕事を目指す以上、一定の厳しさの中に身を置かなければいけないと思います。でも、そこはやはりこれから経験を積む前の学生、厳しいことを指導しながら、フォローしたり経験したことのフィードバックを行ったりして育てていかなければなりません。問題となっているパワハラ教師の行ってきたことは、圧力をかけるだけで看護学生を伸ばす努力を怠っているので指導とは到底呼べません。しかし、本来厳しさとセットになるべきフォローなどの部分が抜け落ちているのは、なんだかパワハラの純度が上がってきてしまっているサイクルがあるのではないかなぁと感じてしまいました。
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