2021年3月25日木曜日

今、ミャンマーで起きていること。

ミャンマーでの国軍によるクーデターの混乱の中、治安部隊による銃撃で7歳の少女が無くなったというニュースを目にしました。


共同通信の報では流れ弾となっていますが、朝日新聞によれば少女は父親に抱きかかえられて膝の上にいたところ、兵士が父親に向かって銃撃した弾が当たり致命傷を負ったという。


もはや流れ弾と呼んで良いのかどうか…。

ミャンマーという国の歴史に疎い僕は、なぜかの国がこのような状況になっているのか、まったくわかっていませんでした。なので少し調べてみようとしたところ、以下のサイトに行きつきました。

ミャンマーという国が長く軍事政権下にあり、民主政権化してから歴史が浅いことはなんとなく知っていました。そして、その象徴たる人物としてアウンサンスーチー氏の名前を知っている程度でした。そのスーチー氏が実は国軍の前身組織において将軍だった父を持つということは今回知った、という程度です。

このNewsweekの記事が推測している国軍の行動理由は、言ってしまえば自分たちの影響力が低下することを恐れての結果だということです。特権を脅かされると思い、もしかしたらそれは思い込みかもしれないですが、それによって多くの市民の命が失われているのはやり切れないものですね。

民主主義政治というのはどんなきれいごとを並べても、結局は数の戦争に変わりないと思います。議会における議席数はそのまま意見の通りやすさを表し、それが文民による統治だとしても結局は少数意見を黙殺しかねない汚い部分を生みます。日本を見ていればよくわかりますよね。なぜ汚職が発生するのか、金銭をはたいて議員に取り入る輩が出てくるのか、金銭をはたいて票を集める輩が出てくるのか、考えるまでもないと思います。

ミャンマーの現状から感じたことは三つ。一つ目は、現地で日々の生活が脅かされている人たちがいるにもかかわらず、我々ができることがあまりにも限られていることへのやるせなさ。二つ目は、我々は日本にいるのでこのような軍事的脅威を感じなくて幸せだな、ではなく、結局は直接的暴力がない所にはもっと姑息で狡猾な暴力があることをちゃんと認識しなきゃいけないな、ということ。三つめは、日本では軍事クーデターが怒る可能性がないと反射的に思ってしまっていたことへの危うさです。

日本では第二次世界大戦後からGHQによる統治を経て今の国家体制が築かれました。その歴史は約80年。長いと思いますか?ミャンマーの約10年と比べれば長いでしょう。しかし、300年続いた徳川幕府による統治も明治維新で変わったわけです。80年続いているから当たり前のように今の日本の形が続くと思い込むのは、あまりにも浅はかだと思わされました。

日本人は平和ボケしていると言われます。平和ボケできるのは幸せなことだと思います。しかし、平和ボケするには人類はまだまだ未熟であると思わざるを得ないようです。

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