2021年3月4日木曜日

子どもらしく元気よく、は誰が求めているのか。

昨日、ソフトテニス関係でつながっている人のFacebook投稿を見ていて、以下のような内容がありました。

うちのクラブの中高生クラスと大学生・一般クラスには明らかな違いがある。それは、元気よさ、活気が大学生・一般の方が明らかにあるということ。

要約するとこのような感じでした。

これを見ていて、自分の関わっているところではどうかなーと考えると、確かに一般のクラブの方はみんな声を出してプレーしたり試合をしていれば気迫の声、ときにミスをしても大笑いする声など、元気や活気がある。片や、小中学生と関わっている練習会などは、そこまでの元気さはない。どちらの方が“良い感じ”に映るかと言えば、文字にしても実際の現場にしても前者である。でも、本当にそれで大丈夫?


元気がなく見える=悪い?


そもそも、元気よく見えなければいけないんだろうか。僕の関わっている小中学生は本当にがんばって練習していて、それは楽しいからこそなんじゃないかなと思う。そこの認識はズレてない、はず。ただ、元気よさは大人の方が上で、たまに僕が小中学生に混じって練習したりすると僕が一番うるさかったりする。うちのジュニアチームの子たちについて「のびのびやってますね!」と言われたことはあっても「元気良いですね!」と言われたことはそこまでない気がする。どちらかと言えば、静かだねと言われることの方がある。

子どもたちに対して「強いチームはまず元気がある、声が良く出ている。そういう雰囲気がある。うちでもそんな雰囲気を作れると良いね。」という話をしたことはある。けど、元気よくやることを強要したことはない。そしてこれが一番大事なポイントなんですが、僕は別に元気よく見えようが静かに見えようがどっちだって良いと、本心で思っているということである。


元気がある=良い


誤解されたくないのは、僕だって「元気よくできる方が良いに決まってる」と思ってます。ただ、今関わっている子たちが自分らしくソフトテニスをできているならそれで良いとも思っています。元気の強要はしない、元気がないからって責めない。ちゃんと話してみれば、その子なりにソフトテニスを楽しんでいる。

強要するのではなく、元気よくソフトテニスをするとこんなに楽しいよ!声を出してやることはこんなに良いことがあるよ!ということを伝え続けること、見せ続けること。はっきり言って全然響いている感じはしませんが、子ども自身がその必要性や有効性に気づいたときには雰囲気が変わり始めます。


やらなきゃいけないではなく、こうありたいを引き出す


元気よくやらなきゃいけない、やらないと叱られる。これは僕はしません。元気の良い人になりたい、その方が良いと思うからなりたい、というのを、時間がかかっても子どもたちの内側から引っ張り出していく。大人たちから見て「子どもの理想像」はあるしそれを捨てる必要はないけれど、理想像と現状がかけ離れていることを嘆くことは違うと思う。むしろ、子どもたちが現状からどんどん変わっていく過程を一緒に経験できる、楽しみができて良いじゃないですか。

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