2021年3月6日土曜日

こうあるべき、にこだわるのは良くないと思うよ。

東京五輪の聖火リレーが辞退者続出などで話題になっていますね。本日(2021年3月6日)付けのニュースでは、島根県知事の丸山氏が聖火リレーの中止を検討したと表明したことで、批判(というか圧力)を受けたこともあり同県の体育協会会長を辞任したということも起きています。

そもそも、東京五輪に対して開催の是非が取り沙汰されている中で、聖火リレーにも様々な意見があるのは当然のことと思います。以下、私見を述べさせていただきます。


東京五輪について

僕はこれは「開催すべき」という考えです。そもそも、去年に開催されるはずだったものです。当然、日本の選手に限らず各国の代表選手がこの大会を照準にしてピーキングを行ってきたはずです。まず選手の立場に立って考えたとき、1年の延期はその分選手も年齢を重ね身体や精神に変化も訪れる中で、ぎりぎりのラインだと思います。これは、4年に1回という五輪の大会特性から考えて、チャンスが今しかない人もいるわけなので、なおのこと開催しないという選択肢は僕なら考えられません。

また選手以外に、大会が開催されることにより動く経済についても、無視できない問題だと思います。「何がなんでも開催したい奴らは、金が気になるからだろ!」というような意見も目にしたことがあるように思いますが、お金の問題を度外視してはいけないと思いますよ。スポーツを介して経済が豊かになることは、スポーツの地位を守る・向上させるためにも求められるべきことだと思います。

ただ、莫大な予算を投入して建設された競技場については、その建設費を観客入場料などで回収することは難しいでしょうね。また、大会観戦を軸とした訪日客のインバウンド需要を想定していた観光業についても、これは別の道を模索するしかないと思います。

つまり、選手が力を発揮できる大会としての五輪は開催すべきだが、無観客などの感染症対策は万全を期す必要があり、見る側についてはあきらめざるを得ないことは多々ある、というのが僕の立場です。


聖火リレーについて

これについては、止めた方が良いというのが僕の意見です。理由はシンプルで、あくまでも選手が力を発揮する大会本体とは別のイベントだから、です。上述の通り、大会に関わる経済活動は可能な範囲で活性化させるべきだと思います。大会開催国にやってくる聖火が国内の各地を巡っていくのは、本来は素敵なイベントだと思います。ですが、聖火が各地を巡ることと選手が大会で活躍することはまったくの別物です。みもふたもない言い方ですが、聖火は大会本番中に国立競技場(ですよね?)の聖火台にあれば良いんです。リレーはあくまで、記念です。情勢を考えれば、中止すべきだろうと思います。


次がんばれば良いなんて、気軽に言えない

五輪は4年に一度なのでその色合いが強いですが、その他の大会にしたって「次に向けて頑張れば良いじゃん!」なんて、気軽に言えません。特に今の情勢では、次がいつやってくるのか、本当にやってくるのか見通しが持てません。

僕は小学生ソフトテニスチームのコーチをしていますが、子どもたちが今の学年で目の前の大会に臨めるのは後にも先にも一回きりです。2020年は数々の大会が中止になりましたが、大会を開催するための模索がどれだけ行われたか見えない中での「中止、中止」の連続に、怒りさえ湧きました。決めるのは大人、機会を失うのは選手。選手のことを思えば、どうにか方法を模索しようと思うのは、おかしいでしょうか。


変わっていくこと

新型コロナウイルスの感染拡大は、世の中の色々なことを変えました。ウイルスの広まりを間違っても「良かった」なんて思えませんが、世の中が加速度的に変わって今までにない在り方を模索していったことは「良かった」と思っています。今回のパンデミックがなければ、リモートの拡大も個人による発信の普及も、もっと先になっていたでしょう。この状況下で得られた良い部分は残しつつ、より良い時代・社会に向かっていってほしいものです。

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